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『ゲノム編集とは何か』

グーグルによる機械学習ディープラーニングによりAI人工知能)は、人類の知能を超える日が近いとも言われている。また、量子力学分野でも、「量子アニーリング」マシンと呼ばれる量子コンピュータが登場した。この「量子アニーリング」マシンは機械学習ディープラーニングに応用ができると期待されている。

そんな中、生命科学分野においても、「ゲノム編集」と呼ばれる超先端技術が登場した。本書では、この第3のゲノム技術とも呼ばれる技術がどのようなものなのか、また、その登場が人類に与える影響として、いかに衝撃的であったかが語られる。

 

では、この新しい遺伝子工学(以下、遺伝子組み換え)技術は、従来のそれとは一体何が違うのだろうか。本書によれば、これまでは、遺伝子を組み換えるために、科学者が1万回、あるいは100万回もの実験を繰り返したあげく、やっと1回だけ狙った通りに組み換えることができるという、極めて運試しなものであったという。また、例えば、テレビでよく聞く「ノックアウト・マウス」を作るために使われた組み換え技術は、マウスにしか使えず、マウスより少し大きいラットでは上手くいかなかったりと、汎用性に乏しい技術でもあった。

それでは、神の技術とも評される「ゲノム編集」はどうなのだろうか。

 

「ゲノム編集」は、CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)システム、または単にクリスパーと呼ばれている。これまでの遺伝子組み換え技術との最も大きな違いは、その精度の高さだろう。クリスパーでは、科学者が狙った遺伝子をピンポイントで切断したり、改変し操作することができる。

さらにクリスパーは、「ゲノム」や「塩基配列」など分子生物学の基本知識さえあえば、誰でも扱える技術とされている。本書を読めば十分に扱えるかというと、さすがにそうとはいかないが、クリスパー発明者の一人、米カリフォルニア大学のジェニファー・ダウドナ教授は、専門家のトレーニング次第では、高校生でも扱える技術と語る。

 

クリスパーの登場により、従来の技術とは比較にならないほど、高効率で容易に、生物の遺伝子操作をおこなうことが可能となった。本書によれば、筋肉が増量したマダイやウシなどの農産物、医学研究のためにヒトの疾患を再現したサルが、すでに誕生しているという。そして2016年には、世界で初めて、クリスパーを用いたがん遺伝子治療臨床試験が、中国でおこなわれた。それは人類がすでに、「ヒト」のゲノムをも操作する時代に入っていることを意味している。

 

本書はまた、クリスパーという最先端技術を解説する一方、遺伝子を組み換える、操作するといった技術を理解する上で、知っておくべき基本的な知識についても、50ページほどで解説している。たとえば、「分子生物学のセントラル・ドグマ」は、常識として抑えておくぐらいでいいだろう。これは、DNAからmRNAへと遺伝子が転写され、それによってリボソームでタンパク質が生成される一連のプロセスのことを指している。これらDNARNA、タンパク質の違いをよく理解することで、クリスパーの最大の長所である、DNAの狙った位置を正確に認識することがなぜ可能になるのかがわかる。本書は、続々と新技術が登場する生命科学分野の入門書としてもお勧めしたい。

 

クリスパーの登場で、人類は自らの寿命をコントロールできる時代が来るのだろうか。本書によれば、答えはイエスだ。現時点での技術的な課題も、AI人工知能)など他の技術と組み合わせることでいずれ克服できるとされている。だが、そもそも私たち人類は、そのような時代を望んでいるのだろうか。技術は進歩するが、倫理面でのガイドラインというものが存在しないというのが現状だ。皆さんも本書を読んで、ぜひ一緒に考えてみてほしい。

 

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『人類進化の謎を解き明かす』

まったく新しいアプローチ

 

 私たちが笑うこと、歌うことに意味はあるのだろうか。またそうしたことが、もし人類の繁栄と少しでも関係があるのであれば、大変興味深いことであろう。本書は、従来の「骨と化石」といった証拠に頼る研究とはまったく異なる斬新なアプローチによって、人類の進化の謎を一挙に埋めようとする野心的な試みである。

 

社会脳と時間収支が、ヒトの進化の鍵

 本書が提唱する斬新なアプローチとは、「社会脳仮設」と「時間収支」モデルである。

「社会脳仮設」とは、社会的行動の複雑さや社会の規模と、脳(新皮質)の容量には相関があるとすることで、逆に言えば、新皮質の容量から、その集団の規模や認知能力を推測できるということである。「時間収支」モデルとは生きていくのに欠かせない「摂食・移動・休息」と、集団を維持するための「社交」を限られた時間のなかで、どうやりくり(配分)するかを指す。

この「社会脳仮設」と「時間収支」モデルを掛け合わせることによって、人類の認知や社会、コミュニケーションのありようを捉え、進化の段階を初めて統合的に展望できるようになる。

 

著者ロビン・ダンバー氏待望の第二弾

 本書は、「気のおけないつながりは150人まで」というダンバー数でおなじみ、ロビン・ダンバー氏待望の新刊である。前著『友達の数は何人?』から実に5年ぶりとなる本書は、人類進化の謎を「社会脳」と「時間収支」から解き明かす一冊である。ダンバー数とは、気のおけない仲間を維持できる上限は、ほぼ150人という指標のことで、まさに本書でも登場する「社会脳」仮設から生まれた考えである。この社会脳仮設(ダンバー数)は新石器時代の村落から、現代のソーシャル・ネットワークに至るまで当はまることが実証されている。では、「時間収支」モデルは何を解決してくれるのだろうか。

 

脳や体が大きくなれた理由=「笑い」の感染・エンドルフィン作用

 ヒトの初期において、脳や体の増大はなぜ可能になったのだろうか。

脳や体が大きくなるには、それだけ余分のエネルギーが必要であり、摂食・食べ物探しの時間を増やさなければならない。しかも、集団の規模も大きくなっているので、社交の時間を増やすことも求められる。当然、従来のライフスタイルのままでは、時間のやりくりは行き詰るだろう。

この問題の解決策としては、従来肉食や料理による食性の変化があったとする有力な説がある。しかし、当時はまだ肉食や料理に欠かせない火の使用が習慣的ではなかったなどの推察から、本書はこの説を退ける。また気候変動や道具の複雑さといったことも、脳の増大の主要因ではないとする。

筆者はこの時間収支の解決策のひとつとして、「笑い」の感染・エンドルフィン作用という興味深い説を展開する。

 

ヒトと類人猿の「笑い」

 ヒトと類人猿では笑い方に違いがあるそうだ。類人猿は一連の呼気/吸気の反復だが、人のそれは吸気のない一連の呼気である。この違いが何をもたらすかというと、類人猿は息を吐くごとにかならず息を吸うので、肺が空っぽになることがなく、横隔膜と胸壁筋にかかる圧力は最小限ですむ。これに対して、ヒトは笑うときに急速に息を連続して吐くため、疲れがたまって息をつぎたくなる。この胸壁筋にかかるストレスによって脳内にある物質が放出される。それがエンドルフィンだ。ヒトはこの「笑い」というツールで同時に3~4人を巻き込むことができる。これは、「毛づくろい」を用い、同じ恩恵を得ようとする、類人猿と比べれば効率の良さは歴然である。なぜなら、毛づくろいでは、その恩恵を受けるのは「毛づくろい」してもらう個体だけだからである。

ヒトは「笑い」の発明により、脳と体の成長に伴う、「時間収支」モデル上の困難を乗り越え、繁栄できたのである。

 

料理をすること、歌うこと

 これまで、料理と火を持ち出すまでもなく「進化の道のり」をたどってきた。これが重要なのは、さらに脳が大きくなるにはまだ料理という要素を今後にとっておける。

また歌うという要素も登場していない。歌は笑いと明らかにつながりがある。どちらもまったく同じ解剖学的および生理学的過程をもつ。それは呼吸の制御を必要とし、胸壁筋や横隔膜にとって大仕事で、エンドルフィン分泌に効果的なメカニズムである。また音楽活動には、明確な共時性があり、もちろん、これは全員のタイミングを合わせるリズムによっておもに得られる。近年、この共時性は分泌されるエンドルフィンを2倍に増やすということがわかっている。

これらの要因により、人類が増々繁栄したことは言うまでもない。

 

最後に

 人類であるとはなにを意味し、人類はいかにして誕生したのか。従来、このテーマはつねに考古学的記録の骨や石によって語られてきた。しかし、骨や石は、人類がたどってきたと思われる進化の道のりを物語るわけではない。私たちは、現生人類が誕生するにいたった、緩慢で不確かな社会的・認知的変化を知る必要がある。本書は、今日まで続く私たち「人間」とその社会の核心とは何かを改めて教えてくれるはずである。

 

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『新・観光立国論』

「おもてなし」を世界へアピールすることに成功し、2020年東京オリンピックの開催が決定した。これにより日本の観光業はよりいっそう発展し、日本の経済は回復する。そう思っている人も多いはずだ。これに対し著者は、多くの日本人の観光への勘違いが東京オリンピック開催日を皮切りに、外国人観光客の失望を招くだろうと指摘する。では私たちの勘違いとは一体なんであろうか。

 

私たちの観光ビジネスの最大の勘違い、そのことを象徴する一文として、本書では星野リゾートのホームページの一文を引用する。

"観光大国の3条件である「国の知名度」「交通アクセス」「治安のよさ」という条件を十分に備えている日本の観光産業は、今後ますますその規模を拡大していくでしょう。"

著者はこの3条件に関しては「ないよりもあったほうがよい」程度で観光大国を目指すうえでの絶対条件ではないと断言する。事実タイなどでは、外国人観光客をターゲットにしたぼったくりが多発し、クーデターが起きるなど政情不安があり、お世辞にも「治安がよい」とは言えないが、日本の2倍の数の観光客数を獲得する「観光立国」である。またペルーにあるマチュ・ピチュは、不便であるけれども年間40万人以上の観光客が訪れている。要するに、見たいものや体験したいものがあれば、多少治安が悪くても、交通アクセスが悪くても、外国人観光客はやってくるのだ。このような勘違いがあるために、これまで日本の観光ビジネスでは誤ったアピールがなされてきたのである。

 

ではどのような「おもてなし」が外国人観光客を満足させるのだろうか。著者は日本の「おもてなし」はゴールデンウィークのような大型連休に代表されるように、とにかく多くの観光客を一か所にわっと集めて、少ない労力でいかにさばくかという効率性重視が根底になってしまっているのが問題と指摘する。例えば、1分1秒間違えることのない正確さで運行する日本の電車も、どちらかというと通勤のビジネスマン向けに進化したものであって、外国人観光客には殺人的な通勤ラッシュというマイナスイメージが強い。また交通機関で使用するSuicaPASMOも外国人が使用するのは厳しく、これも自国民向けのサービスでしかない。現在のような「多くの自国民をさばく観光」ではなく、「価値観の異なる様々な人たちにお金を落としてもらう観光」へと大きく発想を転換しなければ、外国人観光客を満足させることはできない。しっかりと外国人観光客が何を求めているのか、何を望んでいるのかを理解したうえで、数字・ロジック・ファクトを駆使した「おもてなし」をする必要がある。

 

ではなぜここまでして外国人観光客を招かなくてはならないのか。それは今の日本において高度経済成長期のような経済成長を遂げるには人口を増やすことが一番であるからである。しかし未婚の男女が増えていて出生率が下がっている日本においては、人口を増やすとなると答えは自ずと限られてくる。1つは移民政策であるが、これは容易に受け入れられる政策ではない。そこで著者が提案するのは、外国人観光客という「短期移民」を増やすというものである。仮に先述した外国人観光客に対する勘違いを正し、しっかりとした「おもてなし」が実現すれば、著者は2020年までには5000万人は達成できると断言する。これは現在政府が掲げている「2020年までに訪日外国人観光客2000万人」の倍以上の数である。またこの調子で2020年の東京オリンピック開催を迎えるとなると、2030年までに8200万人を招致することも不可能ではない。そうなれば日本の経済は華々しい成長を遂げることは間違いないだろう。外国人観光客を多く招くことが少子高齢化する日本の経済を支えるのである。

 

本書の著者はイギリス生まれのアナリストである。アナリストというのは投資家のために企業の正確な姿を浮き彫りにするような分析を行う仕事のことを言う。アナリストである著者はかれこれ25年間「日本経済の分析」に時間を費やし、今では小西美術工藝社の代表として日本の伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。本書はアナリストという職業柄、数字・ロジック・ファクトにより日本の観光業を分析し、日本人には耳の痛い内容である。しかし真摯に耳を傾けられるのは、著者の日本に対する深い愛が感じられる内容であるからなのだろう。

 

著者のしっかりとした数字、データによる分析・解釈は、今の日本の観光業がいかに精神論でまかり通っているかがわかる。この点は著者の他の著書でも論じられている。例えば、「日本の会議の中身のなさに驚いた」「日本の経営者にはサイエンスが足りない」など。もちろん、相手の感情を害さないよう「空気を読む」日本の精神にも素晴らしいところはたくさんあるが、私たちは外国人観光客が真に求めていることに耳を傾けることから始めなければならない。耳の痛くなる内容もあるかもしれないが、まずは著者の主張を受け入れることから始めてはどうだろうか。

 

 

 

 

 

 

『街場の読書論』

「どんなものを食べているかいってみたまえ。君がどんな人かいいあててみよう。」これはフランスの美食家ブリア・サヴァラの言葉である。この言葉は読書に関しても言える。そしてどんな本を読むかも大事だが、どのように読むかもまた大事である。本書を読めば、自分のしたい読書方法が見つかるはずだ。

 

 私たちが学校における国語教育として求められてきたのは、「作者はここで何が言いたいのか」、「この『それ』は何を指すのか」などのいかにその文章を読んだかということであった。そのような問いに答える力のことを私たちは国語力と呼んでいた。しかし、この考えに対し筆者は懐疑的である。この能力を仮にreadとするならば、scanするという能力もまた重要であるという。この2つの違いは、例えば、新聞を広げて、斜め読みしているとき、これはscanである。ふと気になる文字列が「フック」して、目を戻して、その記事を最初から読むのはreadである。筆者は私たちはこの「ひたすら文字を見つめる」という、scanするという訓練が少ないのではないかと指摘する。文字を浴びるように見ることにより、その本の世界をただ「観察する」のではなく、「思い出す」ように経験することができるという。なんだか難しい話となってきたが、私自身、scanするという重要性にこれまで気づかず読書をしてきたため、理解はここまでである。だがscanとreadという全く異なるタイプの読書が存在するというのは目から鱗だった。何か話をしているときに、その話題に関係する書物をパッといくつも思い出せるという人間は、このような読書をしているのではないかと思った。

 

私は普段、成毛眞さんの著書『本は10冊同時に読め!』を参考に、数冊の本を並列して読んでいる。この並列読書術の特徴はなんといっても能動的であるという点である。様々なベクトルの情報を自ら組み立て、体系的に理解する。これにより情報を取捨選択する力が磨かれるというものである。では捨てられるような情報とはどんな情報か。それは、自分からアウトプットしたくならないような情報である。本書ではそれを単に出力性が高い、または低いと呼んでいる。筆者は書物を論ずるときにこの出力性を基準にすることがあまりないのではと指摘する。そんな中『脳はわたしのことをホントに理解しているのか』の著者である池谷裕二さんの講演にて、深く腑に落ちる体験をする。その講演ではスワヒリ語というなんだかよくわからない単語40単語を「学習」して「テスト」をするという、単純な脳科学の実験が紹介される。この実験からわかることは、以下のことである。本書から引用すると、

"「学習」は脳への入力である。「テスト」は脳からの出力である。......脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンス力が変化するのである。平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。......パフォーマンスというのは、端的に「知っている知識を使える」ということである。出力しない人間は、「知っている知識を使えない」。「使えない」なら、実践的には「ない」のと同じである "

このように入力過剰で、出力過少の人間は、そのわずかしかない出力を「私はいかに大量に入力したか」「自分はいかに賢いか」を証明することに投じてしまうという。つまりせっかくの賢さを「私は賢い」ということを証明するために投じるという、全く無駄なことをしているというのだ。これは何とも腑に落ちる考えである。これを知って私のブログ熱がいっそうヒートアップしたのは言うまでもない。

 

本書には、本はなぜ必要なのかということから、どのような読書をすれば強靭でしなやかな知性を獲得できるのかまで、読書に関するたくさんの考えやアイデアが満載である。前述のとおり、使えない知識はないのと同じである。本書を読めば必ずや、あなたの読書が変わるはずである。

 

また筆者の「子供は読書なんかしなくてもよろしい」といった口調が、「よおし、そっちがそういうならオレは読むよ。読ませてもらいますよ。意地でも読んでやる。」といった向上心を掻き立てる。私自身も、よくわからなかった項目がいくつかあり、「コノヤロー」と何とも悔しい気持ちにもなった。本書は読書を趣味とする人にも、これから本を読もうと考えてる人にもお勧めである。読書に関して日頃抱いている疑問、考えをこれでもかと紹介する本書は、まさしく最強読書エッセイである。

 

 

街場の読書論

街場の読書論

 

 

 

『生物と無生物のあいだ』

普段歩くときに見る、何気ない景色。そんな日常のありふれた光景から、筆者は瞬く間に読者を科学の世界へと引きずり込む。そしてそれが止まらないのだ。読み始めたら止まらない、まさしく傑作科学ミステリーと言えよう。

 

人は瞬時に、生物と無生物を見分ける。しかし、それは生命の何を見ているのか。生命とは何か、またその定義とはなんだろうか。当時、大学生であった筆者はそんな疑問を抱く。そうして生命科学者としての道を歩み始める。それは、20世紀前半、同じような疑問を抱いて、物理学の世界から生命科学の世界へと渡ってきた多くの科学者も同じであった。まだ遺伝物質の本体が何であるか、解明される以前のことである。本書はそんな時代から幕を開ける。

 

今日、「生命とは何か」という問いに対する答えは、13歳の子供でも語れるものとなった。生命とは自己複製するものであると。これはワトソン、クリックのDNA二重螺旋構造の発見により得られた生命観である。この発見以前は、生命とは、人間に語りうるありとあらゆることであった。つまり、様々な研究背景を持つ科学者が、自らのバックグラウンドを通して好きに論じていたのである。しかし、それ以降は「真理は美しいだけではなくシンプルであるはずだ」というワトソンの思想が広がり、今の生命観が誕生した。本書では、この二重螺旋構造発見についてのエピソード、有名なワトソンの「盗作」疑惑にも触れ、推理小説のような感覚でDNAの構造、また分子生物学者が日々どのようなことをしているかまでも知ることができる。

 

新しい生命観を持ってしても、説明のできないことがまだ存在する。それがウイルスである。この厄介な存在が、著者が大学生の時代から抱いていた「生命とは何か」という問いに対する、1つの答えとなる「動的平衡」という生命観へと誘う。私たち生命は、静的なプラモデルの様な存在ではなく、ダイナミックに変化し続ける動的な存在である。ある秩序は、エントロピー増大の法則により必ずその秩序が乱される。これは生命で言うところの死を意味する。「ダイナミックに変化する」とは、その秩序崩壊が起こってしまう前に、自らその秩序を壊してしまうということである。壊されたものはいち早く自然へと捨てられ、秩序がまだ保たれている新たな部品を私たちは自然から手にする。こうして生命は死から逃れているのである。つまり、私たちはシステムの耐久性と構造を強化するのではなく、自然の流れに身を任せているのだ。これが著者の「動的平衡」という生命観である。

 

本書はこの著者独自の「動的平衡」という考え、それがどのようなものであるかが述べられている。だが私は、「自分の頭で考える」ことの最高の参考書であると思っている。数年前、「余剰博士問題」、「ポスドク問題」がマスコミで取り上げられたがこの問題についてクマムシ博士こと堀川大樹さんの著書『クマムシ研究日誌』から以下の言葉を引用する。

"私たち博士は、博士号を取得する過程において知的訓練を積むことで、世の中の真偽を見分けたり未来を分析する力が養われる。言い換えれば「生きるための力」が身につく。これは、国民からの税金によるサポートによって身につけた能力だ。......それにもかかわらず政府や世の中に対してさらなる援助を求める博士たちに対して、僕は大きな違和感を覚える。高等教育を受け、生きる力が人一倍高い博士であれば、その頭脳を使って生きていくための道を切り開いてしかるべきだからだ。"

これは何も、博士に限った話ではない。私のような大学生にも当てはまる。知識は得るばかりではなく、どう使いこなすか。そこが最も重要なのだと痛感した。

 

科学書を読みたいが何から読んでいいかわからない、そんな人には著者の本はお勧めである。あっという間に科学の世界に引き込んでくれ、意外な科学の知見をこれでもかと楽しく教えてくれる。私たちが日頃考えているのは、世の中の、自分の身の回りのことであるが、そこにはわかった気になっていることもあれば、まったく何の関心もないまま素通りしていることも沢山ある。本書のような、科学書を読むことは、今まで知らないまま通り過ぎていた何か面白そうなことに気づかせてくれる、そんな出会いの場となるはずである。

 

 

 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『AIの衝撃』

本書は人工知能、AIの進化が日本の産業界にどのような危機を与えるか、その警告書である。と聞いても、これまでにもそのような本はあっただとか、人工知能、AIなどと聞いても目新しさを感じないなどの意見が聞こえてきそうである。その通り。これが私たちの今の「常識」なのだ。では、私たちはなぜそのような「常識」を持つようになったのだろうか。これからの人工知能、AIをどのように捉えていけばよいのだろうか。本書はその「常識」を覆し、これからのAI技術を考える鍵を与えてくれる。

 

 AIは「機械学習」という技術がベースとなっている。この機械学習というのは、「言葉を聞き分ける」「写真を見分ける」といった人間の知能を、コンピュータが得意とする大規模な数値計算へとすり替える手段である。つまり、これまでのAIとは、ほとんどが数学的テクニックの集合体でしかなかったのだ。この時点で、ほとんどの読者は幻滅するだろう。このやり方では、いつまでたっても「本物の知能」「意識」などは生まれるはずはないと。しかしそう決めつけるのは早計である。近年、脳科学での研究成果の応用が、AIの歴史を一変させたのだ。

 

AIでの最大の障壁はなんといってもフレーム問題である。このフレーム問題とは、本書から引用すると、

"所詮は限られた情報処理能力しかないロボットやAIには、現実世界で起こり得る問題の全てには対処できない"

つまり、現実世界で起こり得る様々なケースをあらかじめ人間が想定し、コンピュータに入力しなければならないという問題である。この大きな障壁を超えるには、コンピュータ自身が「何かに気づく」ということができなければならない。これは人間で言えば直観知というものだ。何かを学習した時に、物事の関係性や論理性を発見したり、現象の背後にある法則を発見する能力のことである。これが可能になればコンピュータは自ら学習し成長することができる。

グーグルが注目する「ディープ・ラーニング」という技術がある。グーグルはこの技術により、youtubeSNS上の大量の画像データから、コンピュータに視覚的概念を学習させ、画面上にゼロからそのイメージを描き出すことに成功した。コンピュータが人から何も教わることなく、何らかの概念を獲得したこの事実は、世界を驚かせた。そしてこの「ディープ・ラーニング」こそ先ほどの「機械学習」に脳科学の研究を応用した技術なのだ。フレーム問題はこの「ディープ・ラーニング」により解決される可能性が高いと期待されている。

 

この30年あまりの間に、その後のハイテク産業を左右するいくつかのキー・テクノロジーが世に誕生した。「(ウィンドウズのような)世界標準OS(基本ソフト)」、「インターネット」、そして最近のスマートフォンに代表される「モバイル技術」などである。この大きな技術革新の波に乗り遅れたばかりに、日本のエレクトロニクス・メーカーは衰退したと、筆者は指摘する。なぜあんな自明なことに気付かなかったのかと。そして、その失態と同じことがまた起きようとしている。なぜなら、フレーム問題を解決したAIと次世代ロボットは、ありとあらゆる産業を根本的に塗り替えてしまうはずだからである。

 

今だかつて、私たち人間よりも、高度な知的生命体は誕生したことはない。しかし、その生命体を人間自ら誕生させようとしている。はたしてその人工知能は私たちの敵なのか、味方なのか。またそのようなモノを誕生させて本当に良いのだろうか。いや、そんな悠長なことを言っている場合ではない。高度な人工知能は必ず誕生する。私たちは覚悟を決めなければならないのだと、本書を読むことで感じた。

 

高度な人工知能が誕生したとしたら、私たちの存在価値とはなんだろうか。筆者は、ある能力において自分よりも優れた存在を創造し、それを受け入れる先見性と懐の深さが人間にはあると指摘する。本書にはこれまでの研究の成果と、その応用例が紹介され、SF小説のような創造の未来についてはあまり語られていない。しかし、本書の後半で、今までの内容を踏まえた、人工知能の未来像が描かれている。本書を読めば、いろいろと考えさせられることがあるだろう。今の「常識」を打ち破り、そんな未来にワクワクしたのなら、本書の言葉を借りれば、あなたも立派な「人間」である。

 

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

 

 

 

 

『超ひも理論をパパに習ってみた』

本書は天才物理学者の(関西弁の)パパが、女子高生の娘に最先端の物理学を伝授するというもの。まさにかつてなく、わかりやすい素粒子物理学講義と言える。

 

といっても身構える必要はない。そんな堅苦しく話そうものなら”やっぱりパパは異次元に住んでるのよ。バイバイ”と、平気で言う娘相手なのだから。そんなこともあり、できるだけわかりやすく、楽しく話をしてくれる。1日たった10分たらずの講義が、第7講義分まであり、70分でひも理論が理解できるというが本書である。これは決して誇張ではなく3時間もあれば読むことができるだろう。

 

シャーペンで文字を書くときどんな力を使っているのか。答えは摩擦力ではなくて電磁気力という力だそうだ。ちなみに色々な原子をまとめて水やタンパク質などの分子を作る力や、その分子同士がどう結合し動くかもこの電磁気力である。物理学者にとっての力とはたった4つしかない。その4つとは重力、電磁気力、弱い力、強い力である。そしてさらにこの4つを統一する理論こそがひも理論なのである。

 

この世界のあらゆる物質は細かく細かく刻んでいくと、最終的には素粒子という物質になる。この素粒子が実はひものような形をしていると仮定する。すると先ほどの電磁気力と重力の2つの力が自然と導きだせるという。どういうことかというと、科学は、なぜ重力というものがあるのか、ということまで答えようとしているのだ。これは何も小難しい数式を用いなくても直感でわかる。本書を読めば、神様になったような気分になるだろう。ここまでくると娘の美咲もすっかりひも理論に夢中だ。

”私、とんでもないことを知ってしまった気分。究極理論を少しかじっちゃった。この世の中がどうなっているかって、すごく複雑だけど、素粒子の言葉で考えると、意外に簡単なのかも。重力と光が、単にひもかもしれない、って考えただけで、神様になった気分だ。”

 なんて言葉が飛び出す。

 

 "わからないことが面白い。そんなふうに思ったこと、なかった。…わからないことはツラいことだと思ってた。"

こう思っている人も多いのではないだろうか。いや、ほとんどの人がこう思っているに違いない。なぜ勉強はこんなにも辛いものになってしまったのだろう。それは多分、世の中の「当り前」を何の疑いも持たずに「当り前」として受け止めているからである。そこでノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスの次の言葉を引用する。

"そもそも私の、世界へのアプローチは、この世界になにかグランドデザインがあってそれを証明しようとする、というものではないんだ。仮説を証明するデータがほしいんじゃない。むしろ世界がどうなっているか知りたいだけなんだ。それは子供のころガレージで実験していたころからまったく変わっていない"

自らを形容するのに最も適した言葉は何?と聞かれたとき、マリスは、私はオネスト(正直)だと言った。私はオネスト・サイエンティストだと。マリスは子供の頃から、本当の意味で、自由でありえたのだ。「当り前」を疑うには、確かに勇気が必要である。しかし、それが科学のワクワク感の源水なのだ。本書はそんなことを思い出させてくれた。

 

本書はひも理論の入門書であるが、物理学者という輩がどんな人たちなのかも教えてくれる。またやさしい関西弁での解説は、抜けがよく、スッキリと理解ができ、気持ちの良いものだ。自分のパパを宇宙人でも見るかのように接する、娘・美咲とのやり取りも面白い。文理問わず、幅広い人が読めるのが本書である。

 

 

超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)

超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)