『AIの衝撃』

本書は人工知能、AIの進化が日本の産業界にどのような危機を与えるか、その警告書である。と聞いても、これまでにもそのような本はあっただとか、人工知能、AIなどと聞いても目新しさを感じないなどの意見が聞こえてきそうである。その通り。これが私たちの今の「常識」なのだ。では、私たちはなぜそのような「常識」を持つようになったのだろうか。これからの人工知能、AIをどのように捉えていけばよいのだろうか。本書はその「常識」を覆し、これからのAI技術を考える鍵を与えてくれる。

 

 AIは「機械学習」という技術がベースとなっている。この機械学習というのは、「言葉を聞き分ける」「写真を見分ける」といった人間の知能を、コンピュータが得意とする大規模な数値計算へとすり替える手段である。つまり、これまでのAIとは、ほとんどが数学的テクニックの集合体でしかなかったのだ。この時点で、ほとんどの読者は幻滅するだろう。このやり方では、いつまでたっても「本物の知能」「意識」などは生まれるはずはないと。しかしそう決めつけるのは早計である。近年、脳科学での研究成果の応用が、AIの歴史を一変させたのだ。

 

AIでの最大の障壁はなんといってもフレーム問題である。このフレーム問題とは、本書から引用すると、

"所詮は限られた情報処理能力しかないロボットやAIには、現実世界で起こり得る問題の全てには対処できない"

つまり、現実世界で起こり得る様々なケースをあらかじめ人間が想定し、コンピュータに入力しなければならないという問題である。この大きな障壁を超えるには、コンピュータ自身が「何かに気づく」ということができなければならない。これは人間で言えば直観知というものだ。何かを学習した時に、物事の関係性や論理性を発見したり、現象の背後にある法則を発見する能力のことである。これが可能になればコンピュータは自ら学習し成長することができる。

グーグルが注目する「ディープ・ラーニング」という技術がある。グーグルはこの技術により、youtubeSNS上の大量の画像データから、コンピュータに視覚的概念を学習させ、画面上にゼロからそのイメージを描き出すことに成功した。コンピュータが人から何も教わることなく、何らかの概念を獲得したこの事実は、世界を驚かせた。そしてこの「ディープ・ラーニング」こそ先ほどの「機械学習」に脳科学の研究を応用した技術なのだ。フレーム問題はこの「ディープ・ラーニング」により解決される可能性が高いと期待されている。

 

この30年あまりの間に、その後のハイテク産業を左右するいくつかのキー・テクノロジーが世に誕生した。「(ウィンドウズのような)世界標準OS(基本ソフト)」、「インターネット」、そして最近のスマートフォンに代表される「モバイル技術」などである。この大きな技術革新の波に乗り遅れたばかりに、日本のエレクトロニクス・メーカーは衰退したと、筆者は指摘する。なぜあんな自明なことに気付かなかったのかと。そして、その失態と同じことがまた起きようとしている。なぜなら、フレーム問題を解決したAIと次世代ロボットは、ありとあらゆる産業を根本的に塗り替えてしまうはずだからである。

 

今だかつて、私たち人間よりも、高度な知的生命体は誕生したことはない。しかし、その生命体を人間自ら誕生させようとしている。はたしてその人工知能は私たちの敵なのか、味方なのか。またそのようなモノを誕生させて本当に良いのだろうか。いや、そんな悠長なことを言っている場合ではない。高度な人工知能は必ず誕生する。私たちは覚悟を決めなければならないのだと、本書を読むことで感じた。

 

高度な人工知能が誕生したとしたら、私たちの存在価値とはなんだろうか。筆者は、ある能力において自分よりも優れた存在を創造し、それを受け入れる先見性と懐の深さが人間にはあると指摘する。本書にはこれまでの研究の成果と、その応用例が紹介され、SF小説のような創造の未来についてはあまり語られていない。しかし、本書の後半で、今までの内容を踏まえた、人工知能の未来像が描かれている。本書を読めば、いろいろと考えさせられることがあるだろう。今の「常識」を打ち破り、そんな未来にワクワクしたのなら、本書の言葉を借りれば、あなたも立派な「人間」である。

 

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

 

 

 

 

『超ひも理論をパパに習ってみた』

本書は天才物理学者の(関西弁の)パパが、女子高生の娘に最先端の物理学を伝授するというもの。まさにかつてなく、わかりやすい素粒子物理学講義と言える。

 

といっても身構える必要はない。そんな堅苦しく話そうものなら”やっぱりパパは異次元に住んでるのよ。バイバイ”と、平気で言う娘相手なのだから。そんなこともあり、できるだけわかりやすく、楽しく話をしてくれる。1日たった10分たらずの講義が、第7講義分まであり、70分でひも理論が理解できるというが本書である。これは決して誇張ではなく3時間もあれば読むことができるだろう。

 

シャーペンで文字を書くときどんな力を使っているのか。答えは摩擦力ではなくて電磁気力という力だそうだ。ちなみに色々な原子をまとめて水やタンパク質などの分子を作る力や、その分子同士がどう結合し動くかもこの電磁気力である。物理学者にとっての力とはたった4つしかない。その4つとは重力、電磁気力、弱い力、強い力である。そしてさらにこの4つを統一する理論こそがひも理論なのである。

 

この世界のあらゆる物質は細かく細かく刻んでいくと、最終的には素粒子という物質になる。この素粒子が実はひものような形をしていると仮定する。すると先ほどの電磁気力と重力の2つの力が自然と導きだせるという。どういうことかというと、科学は、なぜ重力というものがあるのか、ということまで答えようとしているのだ。これは何も小難しい数式を用いなくても直感でわかる。本書を読めば、神様になったような気分になるだろう。ここまでくると娘の美咲もすっかりひも理論に夢中だ。

”私、とんでもないことを知ってしまった気分。究極理論を少しかじっちゃった。この世の中がどうなっているかって、すごく複雑だけど、素粒子の言葉で考えると、意外に簡単なのかも。重力と光が、単にひもかもしれない、って考えただけで、神様になった気分だ。”

 なんて言葉が飛び出す。

 

 "わからないことが面白い。そんなふうに思ったこと、なかった。…わからないことはツラいことだと思ってた。"

こう思っている人も多いのではないだろうか。いや、ほとんどの人がこう思っているに違いない。なぜ勉強はこんなにも辛いものになってしまったのだろう。それは多分、世の中の「当り前」を何の疑いも持たずに「当り前」として受け止めているからである。そこでノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスの次の言葉を引用する。

"そもそも私の、世界へのアプローチは、この世界になにかグランドデザインがあってそれを証明しようとする、というものではないんだ。仮説を証明するデータがほしいんじゃない。むしろ世界がどうなっているか知りたいだけなんだ。それは子供のころガレージで実験していたころからまったく変わっていない"

自らを形容するのに最も適した言葉は何?と聞かれたとき、マリスは、私はオネスト(正直)だと言った。私はオネスト・サイエンティストだと。マリスは子供の頃から、本当の意味で、自由でありえたのだ。「当り前」を疑うには、確かに勇気が必要である。しかし、それが科学のワクワク感の源水なのだ。本書はそんなことを思い出させてくれた。

 

本書はひも理論の入門書であるが、物理学者という輩がどんな人たちなのかも教えてくれる。またやさしい関西弁での解説は、抜けがよく、スッキリと理解ができ、気持ちの良いものだ。自分のパパを宇宙人でも見るかのように接する、娘・美咲とのやり取りも面白い。文理問わず、幅広い人が読めるのが本書である。

 

 

超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)

超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)