『生物と無生物のあいだ』

普段歩くときに見る、何気ない景色。そんな日常のありふれた光景から、筆者は瞬く間に読者を科学の世界へと引きずり込む。そしてそれが止まらないのだ。読み始めたら止まらない、まさしく傑作科学ミステリーと言えよう。

 

人は瞬時に、生物と無生物を見分ける。しかし、それは生命の何を見ているのか。生命とは何か、またその定義とはなんだろうか。当時、大学生であった筆者はそんな疑問を抱く。そうして生命科学者としての道を歩み始める。それは、20世紀前半、同じような疑問を抱いて、物理学の世界から生命科学の世界へと渡ってきた多くの科学者も同じであった。まだ遺伝物質の本体が何であるか、解明される以前のことである。本書はそんな時代から幕を開ける。

 

今日、「生命とは何か」という問いに対する答えは、13歳の子供でも語れるものとなった。生命とは自己複製するものであると。これはワトソン、クリックのDNA二重螺旋構造の発見により得られた生命観である。この発見以前は、生命とは、人間に語りうるありとあらゆることであった。つまり、様々な研究背景を持つ科学者が、自らのバックグラウンドを通して好きに論じていたのである。しかし、それ以降は「真理は美しいだけではなくシンプルであるはずだ」というワトソンの思想が広がり、今の生命観が誕生した。本書では、この二重螺旋構造発見についてのエピソード、有名なワトソンの「盗作」疑惑にも触れ、推理小説のような感覚でDNAの構造、また分子生物学者が日々どのようなことをしているかまでも知ることができる。

 

新しい生命観を持ってしても、説明のできないことがまだ存在する。それがウイルスである。この厄介な存在が、著者が大学生の時代から抱いていた「生命とは何か」という問いに対する、1つの答えとなる「動的平衡」という生命観へと誘う。私たち生命は、静的なプラモデルの様な存在ではなく、ダイナミックに変化し続ける動的な存在である。ある秩序は、エントロピー増大の法則により必ずその秩序が乱される。これは生命で言うところの死を意味する。「ダイナミックに変化する」とは、その秩序崩壊が起こってしまう前に、自らその秩序を壊してしまうということである。壊されたものはいち早く自然へと捨てられ、秩序がまだ保たれている新たな部品を私たちは自然から手にする。こうして生命は死から逃れているのである。つまり、私たちはシステムの耐久性と構造を強化するのではなく、自然の流れに身を任せているのだ。これが著者の「動的平衡」という生命観である。

 

本書はこの著者独自の「動的平衡」という考え、それがどのようなものであるかが述べられている。だが私は、「自分の頭で考える」ことの最高の参考書であると思っている。数年前、「余剰博士問題」、「ポスドク問題」がマスコミで取り上げられたがこの問題についてクマムシ博士こと堀川大樹さんの著書『クマムシ研究日誌』から以下の言葉を引用する。

"私たち博士は、博士号を取得する過程において知的訓練を積むことで、世の中の真偽を見分けたり未来を分析する力が養われる。言い換えれば「生きるための力」が身につく。これは、国民からの税金によるサポートによって身につけた能力だ。......それにもかかわらず政府や世の中に対してさらなる援助を求める博士たちに対して、僕は大きな違和感を覚える。高等教育を受け、生きる力が人一倍高い博士であれば、その頭脳を使って生きていくための道を切り開いてしかるべきだからだ。"

これは何も、博士に限った話ではない。私のような大学生にも当てはまる。知識は得るばかりではなく、どう使いこなすか。そこが最も重要なのだと痛感した。

 

科学書を読みたいが何から読んでいいかわからない、そんな人には著者の本はお勧めである。あっという間に科学の世界に引き込んでくれ、意外な科学の知見をこれでもかと楽しく教えてくれる。私たちが日頃考えているのは、世の中の、自分の身の回りのことであるが、そこにはわかった気になっていることもあれば、まったく何の関心もないまま素通りしていることも沢山ある。本書のような、科学書を読むことは、今まで知らないまま通り過ぎていた何か面白そうなことに気づかせてくれる、そんな出会いの場となるはずである。

 

 

 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)